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耳にダイレクトに音楽を流し込むことについて [音楽の雑談]

ツィッターに慣れてしまうと、どんどんブログのことを忘れていきそうなのですが、
ツィッターではおさまりきれない思いを書き表したくなって……久しぶりに書きます。

タイトルにも書いたように「耳にダイレクトに音楽を流し込むことについて」。
通勤の電車の中や、あるいは歩行中や自転車に乗っている時にまで、今や携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳にはめ込んでいる人は少なくありません。
それに対して、毎日「どうよ?」と思っています。

私自身最寄りの駅まで自転車です。
自転車は、車から見たら危ない存在で(被害者になる)、乗り方によっては歩行者を傷つける存在です(加害者になる)。
つまり、外界の様子にとても敏感になっていなくてはならないのです。
それなのに、耳にイヤホンをはめ込んでしまうと、外界の様子を感じとれなくなってしまいます。
だから、私は怖くてできません。
ところが、平然とイヤホンをはめてスピードを出して自転車を乗っている人をよく見かけます。
彼らは、「自分は大丈夫」と思っているのかもしれませんが、自分が加害者になる可能性を見過ごしています。

電車の中ではどうでしょう。
満員電車の中、互いにまわりの人に気をつかいながら、乗ることが求められます。
ところが、耳にイヤホンをはめ込んでいる人は、自分をとりまく他の乗客と明らかに壁をつくり、まわりの情報をシャットアウトしているように見受けられます。
もうほんの少し前へつめれば……
もう半歩からだをずらせば……
もうほんの少し……
そんな微妙なまわりの情報を感じとれない(感じられるわけありません、耳にダイレクトに音楽を流して、自分の世界に入り込んでいるのですから!)人が、自分のまわりにいるだけで、朝から憂鬱になります。

そんな日が続いています。


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珍言亭ムジクス

公私の区別が希薄になっている一例なのでしょう。
自分の部屋と電車の中で同じ感覚でいられるのかな・・・人前での化粧もそうだし、不特定多数の人が行きかう場所で音楽やラジオを垂れ流すのも、同じ感覚なのだと思います。

たちが悪いのは、耳を音楽でふさいでいると言葉で注意できないことですね。
肩をたたいたりして注意するのは「すみません」と声をかけるのに比べてずいぶんと難しい・・・駅員への暴行が増えているというニュースが先日あったし、困ったことです。

by 珍言亭ムジクス (2011-09-19 09:43) 

のすけの母

なかなかブログを更新できなかったのですが、久しぶりの更新で恥ずかしい限りです。今から持ち帰った仕事をしますので、これからまたしばらくここは触れないままになりそうですが……。

音楽を聴くなとは言いません。
耳を塞いでいる以上、通常以上に周囲への心配りをするべきです。
耳を塞ぐことで、「私は知らない」を貫く態度に腹を立てています。
by のすけの母 (2011-09-19 09:53) 

e-g-g

こんにちは、そして久しぶりの記事、同感、同感です。
イヤホンをはめながらの自転車、これはもう論外ですね。
まわりの情報を感じ取れない電車内のイヤホンも見苦しく品がありません。

“自分の世界に入り込むための音楽装置”、
これは遡れば初代ウォークマンの登場によって始まるわけで、
すでに30年ほどの時が経っています。
で、その間に音楽を享受する文化は、少しは前へ進んだのでしょうか?

文化はつねにその時代その社会を映し鏡にして生まれるものですよね、
音楽も、それがクラシックであろうが演歌であろうが、
これは紛れもない事実でしょう。
ところが、その音楽が実は社会と個人とのあいだに壁を作ってしまう、
社会から逃避するための道具として使われてしまう、
ウォークマンに代表される携帯音楽プレーヤーは、
一見、豊かな音楽の土壌を用意しているようでいて、
そんな退行的な状況も作り出してしまう、
使い方によっては、とても後ろ向きな装置になってしまう、
私にはそう思えてならないのです。

イヤホン自転車も電車内イヤホンも、
その退行的な姿をよりシンボリックに表している、とも思います。
“音を捨てよ、町へでよう”、と言いたいですね。

ついでに言ってしまうと、i Tuneのようにネットで簡単に手に入る環境も
キケン、キケン、と思っています。
情報が多いから人は豊かになるとは限らない、
多いが故に無知と鈍感と無関心が支配的になる、そんな感じもします。
電車内で自分の世界に入り込んでいる人々を見ると、
現実的鈍感さ以上の薄ら寒さを覚えます。

もちろん、道具は使いようですよね、
私もイヤホンのおかげで、気付いたこともありますし、
夕焼け空を見上げながら聴くマーラーの愉悦も捨てがたいです。
でも、そのときに流れている風の音、木々の梢の揺れる気配、
そんな音たちも忘れてはいけない、とも思うのです。
それが、たとえ街の喧騒であってもそれは生きていますから。

長いコメント、たいへん失礼いたしました。
by e-g-g (2011-09-19 19:55) 

のすけの母

e-g-gさん、ありがとうございます。
私自身、ウォークマンは現在も使っています。
ただし、自転車に乗ったり通勤電車内では一切使っていません。
寝る前、布団に入るとき、一曲聴いて寝ようといった使い方です。
文明の利器は、昔聴いた音楽(たとえばYMO)にこんな音があったんだ!と気づかせてくれます。
ウォークマンによって世界は広がります。
でも、それを人との壁にしたくはない。
最近の電車内は、老若男女を問わず、音楽やゲームを楽しむ人であふれています。
そんなに一生懸命でどうする?というくらい。
人は、ぼーっと景色を見る能力すら失いつつあるようです。
by のすけの母 (2011-09-19 20:49) 

e-g-g

>ぼーっと景色を見る能力すら失いつつある・・・
そう、そこですよ、気になるのは。
by e-g-g (2011-09-20 12:57) 

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