ピアノが中国人のユジャ・ワン 。
となると、「のだめ」のソン・ルイを連想したりして。
この1798回のN響のプログラムはなかなかよい。
このあとは「火の鳥」かな?
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「“ピアノのために”から“サラバンド”(ドビュッシー)」
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)シャルル・デュトワ
「舞曲(ドビュッシー)」
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)シャルル・デュトワ
「交響的印象“スペインの庭の夜”(ファリャ)」
(ピアノ)ユジャ・ワン、(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)シャルル・デュトワ
「ピアノ協奏曲 ト長調(ラヴェル)」
(ピアノ)ユジャ・ワン、(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)シャルル・デュトワ
「バレエ組曲“火の鳥”(1919年版)(ストラヴィンスキー)」
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)シャルル・デュトワ
「幻想ソナタ 作品19(スクリャービン)」
(ピアノ)ユジャ・ワン
NHKのHPより
]]>今は、「ヴァイオリン協奏曲/バッハ」
バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 他(クラシック・マスターズ)
もう、ず~~~~~~~いぶん前に買ったCD、
初めて聴いたとき、最初のヴァイオリンの音に、本当にまいったのを、聴くたびに思い出します。
今は、「2つのヴァイオリンのための協奏曲」の2楽章を、着信音にして、日々バッハに浸っています。
最近、バッハを聴くと、とても心が落ち着く。
さあ、これから仕事という時、バッハを聴くと、身も心も引き締まる思いがする。
「クラシックカフェ」でたまたまバッハだと、いい仕事ができそうな気がする。
「のだめ」(古ッ!!)の黒木くんが「バッハは心が洗われる」と言っていたと思うけれど、わかる気がする。
で、「チェンバロ協奏曲第4番イ長調」といえば、「オーボエ・ダモーレ協奏曲イ長調」!
というわけで、「オーボエ協奏曲集/バッハ」です。
このCDは大好きで、よく聴きます。
なんと、コメント入力時の認証コードが判読できす、
自分の記事なのに、コメントが付けられない事態に!!
どうしよう……と、あたふたし、
ネットで調べてたら、認証コードが変更できると知り、安堵。
できました。
でも、よく考えたら、コメントをしてくださった方は、
この認証コードを判読できたのですよね。
つまり、私がアホだ、ということですね……
そもそも「相棒」の醍醐味は、
登場人物どうしのギスギス感。
言葉と言葉の応酬。
その得も言われぬ緊張感こそ、おもしろいと思っているのに、
官房長が亡くなって、甲斐享が登場すると、
妙に皆仲良くなってしまい、おもしろくない。
そして、内村刑事部長や中園参事官の描き方が、ステレオタイプのいやな上司で、
こんな単純な演出をなぜするのか、甚だ疑問!!
脚本家が変わったのか?
再放送の方がよっぽどかおもしろい。
あと、やっぱり「花の里」はたまきさんでないと!
今の「花の里」での、右京さん&月本幸子、甲斐享&悦子のなれあいは、見るに堪えない。
そういいながら、今のシリーズも結局は見てるんだけれど、
前回のはまたひどかったな…。
どうした、「相棒」!?
]]>また、年があらたまりました。
今年こそ、このブログを始めたときの初心に沿ったことを1つでも2つでも書きたい!
そう願っていたところ、早速ありました。
タイトルにもあるよう、「ウィンナー・ワルツ・オーケストラ」のコンサートに行ってきたのです。
愛知県芸術劇場コンサートホール
13時開演
指揮:サンドロ・クトゥレーロ
実はウィンナーワルツにそんなに関心があるわけではありません。
誘われて、行ったのです。
何より久しぶりの芸文コンサートホール!!
うきうきして出かけました。
聞き知っている有名な曲が多いので飽きることもなく、
さらにバレエや歌もありで、とても楽しませてくれました。
時には鳥の声を模して笑わせてくれたり、
会場が一体になって拍手が沸き起こったり!!
コンサートというより、優雅なエンターテイメントでした。
それはアンコールに表れていました。
おなじみのラデツキーで終わると思いきや、
指揮者の話、そして曲、また話、バイオリン奏者の歌、また話、コンサートマスターとチェリスト(兄弟のよう)の共演!!
アンコールの贅沢さといったらありませんでした。
来てよかった。
やはりLIVEは最高!!
(そういえば、昨年オペラ「アイーダ」にも行ってました!)
クラシックコンサートにも遠ざかっていますので、
今年は一つでも出かけたく思っています。
思い出したように更新したこのブログも
ちょいちょい書いていける一年にしたいです。
とにかく始まった2014年、いい一年にしていきたいです。
また、皆様方のご多幸をお祈り申し上げます。
]]>ま、気ままに。
(忙しさにかまけて、読書も減り、音楽もゆったり聴けてない。
このブログの趣旨に沿った記事がなかなか書けないのも事実…)
]]>
正倉院展へ行ってきました。
あらかじめ入場券を買っておき、8時には奈良に到着し、すぐに国立博物館をめざしました。
それでも、既に行列は折り返し。
すぐそこに並びました。
それでも早かった方なので、入るやいなや、お目当ての「金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうのからたち)」をめざしました。
奥の展示室だったので、ほとんど人がいず、だからゆっくり見ることができました。
人が来ぬ間にと、そのあたりの展示品をゆっくりじっくり見、そして最初に戻りました。
もうすごい人で、なかなか展示品は見られず、上方の説明の文や写真で確かめるばかりでした。
その後は、仏像館や青銅器館を見学。
そして、屋外へ。
奈良公園を散策し、近鉄奈良駅の方へ。
そこから商店街へ行き、テレビチャンピオンでおなじみの中谷堂へ。
つきたてのよもぎ餅を食べました。
温かくやわらかく、甘くておいしい!!
午後は、まず興福寺。
三重塔の鬼瓦:
五重塔の鬼瓦:
そして、大仏殿へ。
これぞ奈良!というものを堪能してきました。
でも、本当に好きなのは明日香。]]>
タイトルにも書いたように「耳にダイレクトに音楽を流し込むことについて」。
通勤の電車の中や、あるいは歩行中や自転車に乗っている時にまで、今や携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳にはめ込んでいる人は少なくありません。
それに対して、毎日「どうよ?」と思っています。
私自身最寄りの駅まで自転車です。
自転車は、車から見たら危ない存在で(被害者になる)、乗り方によっては歩行者を傷つける存在です(加害者になる)。
つまり、外界の様子にとても敏感になっていなくてはならないのです。
それなのに、耳にイヤホンをはめ込んでしまうと、外界の様子を感じとれなくなってしまいます。
だから、私は怖くてできません。
ところが、平然とイヤホンをはめてスピードを出して自転車を乗っている人をよく見かけます。
彼らは、「自分は大丈夫」と思っているのかもしれませんが、自分が加害者になる可能性を見過ごしています。
電車の中ではどうでしょう。
満員電車の中、互いにまわりの人に気をつかいながら、乗ることが求められます。
ところが、耳にイヤホンをはめ込んでいる人は、自分をとりまく他の乗客と明らかに壁をつくり、まわりの情報をシャットアウトしているように見受けられます。
もうほんの少し前へつめれば……
もう半歩からだをずらせば……
もうほんの少し……
そんな微妙なまわりの情報を感じとれない(感じられるわけありません、耳にダイレクトに音楽を流して、自分の世界に入り込んでいるのですから!)人が、自分のまわりにいるだけで、朝から憂鬱になります。
そんな日が続いています。
]]>それで、今更ながらツイッターを始めました。
(右側にあります。)
サッカーの方だけはなんとか更新を続け、あとはツイッターに。
このブログは、アップしたい写真があったり、ツイッターではおさまりきれないときのためにのこして置こうと思います。
]]>
それで、とりあえず再開できるまでお休みしようと決めました。
もしかしたら、このままフェイドアウトするかもしれませんが……。
また、いつか再開できる日まで。
実は、金曜の名フィル定演も行けませんでした。
開演時間はまだ職場、いろいろあわただしい4月です。
5月からは万難を排して聴きにいくつもりです。
ブログにはできなくとも……。
さらに、熊野速玉大社へ。
そこには、八咫烏の黒いポストが!!
ずっとご無沙汰のこのブログ。
たまの更新が写真でごまかし。
消滅するのも時間の問題……!?
昼間の地震のときには、高い階にいたので、それはそれは揺れました。
本当に恐かったです。
こんな時にコンサートへ出かけるのは不謹慎ではないか、とか、
コンサートホールにいる間に地震におそわれたらどうしよう、とか、
いろいろ考えあぐねている間に時間は流れ、
結局開演ぎりぎりの到着。
そんな雑念を消すだけの力を、モーツァルトの『リンツ』にはありませんでした。
やっぱりモーツァルトは難しいようですね。
ブルックナーの方は、時間のかかる大作だし、金管楽器が派手に鳴るしで、
ある意味わかりやすく、拍手が続いていました。
まあ、私もブルックナーの方が聴けるとは思ったけれど、
それも比較の問題で……
う~ん、名フィル……
来年度も定期会員なので、ぜひ頑張っていい演奏してください!!
今回のコンサートは、昨夜までもう諦めていました。
体調が悪く、なによりちょっとしたのどへの刺激で咳がとまらなくなるのです。
コンサートホールでこれはないでしょう!!
でも、フィッシャーさんラストなので、なにをおいても行きたい!!と思っていたので、
今日もチケットとのど飴を持って職場へ。
昼頃、なんか大丈夫そうに思えたので、コンサートに行くことに心を決め、
それに向けて、サクサク仕事をこなし、早めに職場を後にしました。
実は、今回は予習をしようと思ってCDをずっと出していました。
ただ、この曲は長いので、なかなかかなわず、結局予習することなく出かけました。
でも、予習しなくてよかったと思っています(負け惜しみ!?)。
この長い曲の緩急や強弱を、CDで集中して味わえるかといえば自信がありません。
コンサートホールだからこそ、指揮者の手を見て、その音楽に没頭できます。
特に4楽章。
最後の静かな静かな終わり方。
こちらも息を殺して、フィッシャーさんを見ながら、音に集中します。
最後の最後、フィッシャーが手をおろすまでの時間を味わえるのも、コンサートならでは。
演奏後は拍手がなりやまず、皆フィッシャーさんを名残惜しんでいるようでした。
iPhoneとかiPadにまったく縁がない私にとって、電子書籍は想像もつきません。
「欲しい」と思えるのか否かをどうやって考えればいいのか、雲をつかむような話だとは思うものの、自分でも納得いく説明がいかなかったところ、この本に出会い、これだ!!と思ったのです。
電子書籍は場所を取らないと言われても……
自分がどんな本を所有しているのか、ぱっと見てわからないことが想像できません。
むしろ、持っている本をどう並べるかがかなり大事な案件です。
今はまっている本、これだけは常に前面に置いておきたい本、そのうち読もうと思っている本は、本棚のいいところに並べられます。
はまっている本はその時々で変わっていくので、入れかえを要します。
また、いいところに並べたい本は、いいところのスペース以上あるので、ローテーションも必要です。
だから、本の並べ方は結構かえます。
そして、それは楽しい作業でもあるのです。
電子書籍にこの楽しみはありません。
よその家に行って本棚を見る機会があると、つい目がいきます。
ああ、この人はこんな本を読むんだ、とか、
へえ、こんな本があるんだ、とか、
よその家の本棚は、興味津々です。
それが、電子書籍であったなら、その楽しみはかないません。
やはり、本は紙媒体で所有したいと思います。
そして、本棚に並べたい!!
それは、CDにも言えます。
CDの並べ方も悩ましく楽しい案件です。
もともとこの本を読もうと思ったわけではなく、
内田樹さんで検索していたら、この本がひっかかり、
それで買った次第です。
つまり、今内田樹さんにはまっています。
以前、『下流志向』や『私家版・ユダヤ文化論』などを読んでおもしろいと思っていました。
ただ、本屋ではばをきかせている本には近寄らない主義なので、遠ざかっていたのです。
それが、たまたま『日本辺境論』を読んでしまい、つい『街場のメディア論』を手にとってしまったのがきっかけで、
堰が切れたように読み始めたのです。
同じ作家の本を続けて読むと、自分の考え方も影響されて考え方が偏るので、避けたいと思っていたのですが、
まあいいや、と。
いっそのこと、全部読んじゃえ、と。
で、『本は、これから』中の内田さんの「電子書籍はどこを読んでいるかわからない」というのは大いに納得。
もともと、紙の本か電子書籍かで、「誰ひとり〝書棚の意味〟について言及しない」(『街場のメディア論』)ということを読んだとき、これだ!!と快哉を叫んだものです。
このことについては、また書いていきたいので、後日。
(書けるといいなぁ)
ところで、『本は、これから』を読んで、幸福書房なんて本屋さんがあるんだと知り、今度東京に行くことがあったら是非のぞいてみたい!!と思いました。
一箱古本市とか追放本とか、なかなかに興味深かったです。
内容は、まあなんというか……
要は好みの問題というか……
つまり、前半プログラムはあまり楽しめなかったということです。
いい悪いではなく、私の好みではないということです。
暖かいホールで、ついつい睡魔が襲ってくるのと格闘しておりました。
後半は、おなじみの曲で、あまりに有名故、音がはずれるとすぐわかったり、自分がいつも聴くCDと違うとすぐわかったり、
これもまあ、いいのか悪いのか……
でも、ドヴォルザークは好みです。
久々に、オケっていいなと思いました。
(それくらい、日頃音楽を聴いてないということですが)
(アンコールは嬉しかったです。
まさかの2曲!!
特にリストが☆)
ついつい長居をしたので、八坂神社はそこそこに、清水寺はあきらめました。
ねねの道あたりを歩いたら、それはそれは立ち寄りたい店がいっぱいで、
ここだけを目的に一日時間をつくらないと楽しめないとわかりましたから、
次の機会は、ここを目的地に来ようと思っています。
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