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慈雨 [かろうじて音楽と接点のある話]

桜の開花宣言のあったすぐに雨です。
まだほとんど開いていないので、雨に打たれて落ちる心配もありませんし、最近雨が降らず非常に乾燥していたので、これは恵みの雨、慈雨です。
この雨がやみ、また暖かい日差しが降り注げば、桜の開花は一層促されることでしょう。
狂おしいほどに咲き乱れる桜を目にする日も近いようです。

「春」になると、いつもつい口にする和歌があります。

   石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも (志貴皇子)

『万葉集』の歌です。
確か中学生の頃、何かの本でこの歌を知って以来、ずっとずっと好きな歌です。
和歌は、『万葉集』→『古今和歌集』→『新古今和歌集』と時代が下るにつれ、技巧を凝らしたものになっていきます。
音楽でも、ずっとモーツァルトのような音楽でありえなかったのと同じで、和歌も、ただ思いを歌に詠みこむだけにはいかなくなりました。
『新古今』のような本歌取りも、教養のある者が集まって楽しみ分にはいいのでしょうが、どうしても言葉が走って、実感が伴わないように思えます。
それで、素朴な『万葉集』は、意味もとらえやすいこともあって、以前から好きでした。

この志貴皇子の歌は、視覚的にも聴覚的にも春の訪れをあらわしていて、それだけ春への思いが伝わってくるのが、好きなところです。

『万葉集』では、大津皇子や有間皇子、額田王など、古代史とあいまって味わえる名歌が多く、やはり好きです。

明日は雨があがり、南からの風の影響で黄砂が降るかもしれません。
やはり春です。

(春霞を思わせるドビュッシー「シランクス」を聴きながら)

 


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コメント 4

e-g-g

今朝の東京は、春霞からはほど遠い春の嵐です。
万葉集も、その後の和歌集も高校履修レベルで止まっています。でも、万葉集は心に残る歌が多いですね。素直さや光景の広さ(へんな言い方ですね)を感じるものがとくに好きです。といっても、パッと浮かぶのは誰でも知っている歌ばかり。
志貴皇子のこの歌は「萌え出づる春に」という今の時代ではかなり通俗的な言い回しが、すんなりと納まって、それだけでなくちゃんと目に浮かんできます。大したものですね。
古代史の時代も良いですね。これまでの歴史観が作ってきたのでしょうが、日本であって日本の話ではないような、そういったところに惹かれます。
by e-g-g (2007-03-25 08:22) 

のすけの母

春霞というのは、イメージだけでして、名古屋も嵐でしたよ。
満開に近かったら、絶対散ってしまったに違いないほどの風雨でした。

万葉集をはじめとして、古典は好きです。
受験科目の間は、心底好きにはなれなかったのですが、受験科目のしばりから解放された途端、自由に読めるということで、夢中になりました。
とはいっても、専門的に読んでいるわけではないので、部分部分をつまみぐいみたいに読んでいるだけですが。

古代史もね、大好きなんです。
飛鳥時代から平城京遷都あたりまでが一番好きなのですが、最近では平安朝ぐらいまでに範囲が広がりました。
どうも武家社会は好きになれません。
だから、大河ドラマは、大人になってからは全然見ていません。
by のすけの母 (2007-03-26 11:57) 

mozart1889

おはようございます。
志貴皇子の歌、エエですね。中学生の頃に習いました。春の訪れを感じるエエ歌ですね。
ただ、中学生の僕は、「さ蕨」の意味が分からず、「ワサビ」と勘違いしてましたが。鼻にツンと来るようなものだなと思った僕は唐変木です。
和歌の素養がないので偉そうなことは云えないんですが、「新古今」の凝りに凝ったところ、結構好きです。
by mozart1889 (2007-03-28 06:03) 

のすけの母

志貴皇子の和歌も好きなのですが、大津皇子が万葉歌人の中では一番好きです。いや、和歌よりもその人生がかな。
新古今もいいと思っています。あの鼻につくまでの教養ぶりも、決して嫌いではありません。
ただ、古代史が好きなんで、それとリンクする和歌が私は好きなのです。
by のすけの母 (2007-03-29 09:51) 

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