目には青葉山ほととぎす初鰹 [その他の日記]
今朝の「天声人語」に〈目には青葉山ほととぎす初鰹〉の句が取り上げられていました。
季語が三つあるということで有名な俳句です。
この三つの季語が、それぞれ視覚・聴覚・味覚をあらわし、名詞を並べることで季節感を表現している、といった内容の文章をかつて読んだ記憶があります。
それがどんな本だったのか……まったく思い出せません。
どんな本だったのかなぁ。
本といえば、昨日の読書欄に紹介されていた『必要とされなかった話/三友恒平』は、コミックながらとても壮絶な話のようで……関心はあるけれど、読むのもこわいという感じです。
視覚・聴覚・味覚で春を愛でた傑作だという評価は昔からあるもので、私も何かで読んだ時に「ほほー」と思いました。
それと、よく「目に青葉」と言う人がいますが、上の句は「目には青葉」と字余りなのも大切なことです。
字余りにすることで青葉が広く茂っている感じになることと、続く「山ほととぎす初鰹」とのリズムが単調になるのを避けて活き活きとするからです。
「字余り→たくさんの感じ」というのは「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」という若山牧水の短歌の解釈でも指摘されていることです。
本などから得た解説を書いてしまいましたが、この句が好きなもので(^^;
それとこれも様々なところで書いていますが、のんびりする「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」も長閑で大好きです。
とはいえ、既に立夏を過ぎているのだ・・・季節がずれてしまっては名句の味わいも半減だけど、堅いことは抜きで、長ったらしい戯言ご寛恕ください(^^;
by 珍言亭ムジクス (2010-05-17 23:58)
珍言亭ムジクスさん、詳しくありがとうございます。
だいぶ前のことですが、名詞ばかりを並べたこの句がなんでこんなに人口に膾炙するのかと思った時に、名詞にこめられた意味、それが表す季節感が云々を説明されていたのを読んだ覚えがあったので、ついブログに書いてしまいました。
字余りにする効果については、なるほどと思いました。
ちなみに私の好きなのは「菜の花や月は東に日は西に」です。
春特有の朧、沈む日と浮き出る月によって菜の花畑の広さが感じられ、とても好きです。
by のすけの母 (2010-05-19 21:18)
ずいぶんと昔に、仮に「目には」という出だしでなかったら、
どんな展開になるのだろう?とくだらないことを考えたことがあります。
広告のキャッチフレーズの原点でもありますね。
いや、広告というとちょっと狭いですね、
コミュニケーション作法の原点とも。
by e-g-g (2010-06-05 22:35)
『一億人の俳句入門』という本に、字余りや字足らずの効果が述べてあるのを読みましたが、「五・七・五」という短詩型文学であるがゆえに、一字一句吟味されているのですよね。
なにも俳句に限らず、e-g-gさんのおっしゃるようにコミュニケーション作法でも然り、ですね。
by のすけの母 (2010-06-06 10:51)